うえださんがとおりますよ

つれづれに書くよ

知るっていうこと

最近、人の数だけ信仰があるなって感じる。

 

宗教的な意味合いではなくて。いや、宗教的な意味合いも含めて。

 

で、特にそれに大きな影響をもつのが「知る」ということ。

 

信仰という言葉を使ったので宗教的にいうと、

終末を知る。カルマを知る。目に見えない世界を知る。

 

これによって、心を改めようとか、こういう生き方をしようとか、

もっというと、他の人からみて何でもないものに対して、怯えたり拠り所にしたりする。

 

宗教的でなくても、3.11の原発のときなんか特にそうでしたよね。

目に見えない放射線に過度に怯えて、子供の間では福島出身の子がいじめられたり。

 

人は、知識を得て、知って、そこから価値観を形成する。

それって、一つの自分の生き方で、それを信仰としているんだな、と思う。

 

民主主義も共産主義も宗教みたいなものだな、と。

なんて、誰もが思い付きそうなことでもあるのですがね。

 

 

何が正しいのかはわからない。

いや、何も正しくなんかないのかも知れない。

あるのは単に、法則だけかな、と思う。

 

木からりんごが落ちるように。

仮にカルマがあったとして、そのせいで不幸なことが起こるとして。

けどその不幸なことって、単にカルマを消すひとつの現象なだけで

 

幸不幸とかではなくて、単なる現象で事象。

人の主観的な心の意味付け。

だから、幸せを感じるか不幸せを感じるかは、自分次第。

 

 

そう思うのと同時に、知るというのは怖いな、とも思う。

 

明日死ぬことを知れば、

今日一日を思いっきり生きるのだろうか。

今日一日を怯えながら過ごすのだろうか。

 

自由に意味づけなんか、思い通りにできやしない。

 

だったら何も知らない方が、平和に前も進めるのかも。

 

まとまりませんが、この辺で。